Skier ,Text : Tadahiro Yamaki
Photo: Hiroya Nakata
2019 年 日本の東京を飛び立ち、ラマダンが開けたばかりの 6 月中頃、パキスタン、イスラマバー ドに降り立った。
到底スキーをするような雰囲気は微塵もない、熱帯夜な都市に降り立った。
すぐに異文化な空気感を感じ、そのことを受け離れようと試みるが、インスタントに文化を取り込 むことは限りなく難しいことだ。
それでもなにか底知れぬエネルギーを感じ、 それまで持っていた不安は期待感へと変わっていった。
スキーの道具とは無縁な雰囲気の空港の駐車場。 人々のエネルギー、熱量を感じながらそそくさと次の目的地へと向かう。
カラコルムへのアプローチは最終集落まで、車で丸一日掛の移動だ。 激しい山道を進むための4WD車は必要アイテムだ。
ポーターたちが山に入ると、必ず持ち帰るという、”幸せの⻩色い花” 皆が取り合いになる程意味を持つ物らしい。
10日間のベースキャンプ停滞ののちに、ようやく姿を見せた”ライラピーク” 想像を超えた荘厳さに、言葉を失った。
ベースキャンプへのキャラバンは、2日間ほど。 ポーターたちは皆,いちおうに笑顔だ。
時には険しい山道も進まなければならない。 しかし、スケールが大きすぎて歩いても歩いても一向に向こうの山が近づいてこない様は、 やはり大きい山域に来たのだと実感させられる瞬間だ。
皆、献身的に働く姿に感動を覚えた。
ベースキャンプでは9日間の停滞を余儀なくさせられる。標高4500m ほどの高度では6月 中旬でも、もちろん雪模様だ。
同時期、もう少し標高が高い K2 の、ベースキャンプでは、一晩に2m も雪が積もって閉じ込めら れているという情報も飛び交っていた。
ゆっくりと時間を過ごすことに飢えている私は、この時ばかりとすぎてゆく時間をじっくりと丁寧に味 わっていた。
しかしながら、無情にも時間だけがただただ過ぎていった。
ベースキャンプより、たまに顔をのぞかせる山々は、それこそ神がかり的な、神秘的な存在だ。 果たしてこの山々に、私は受け入れてもらうことができるのであろうか。
明日は、いよいよ晴れるか!?と、夜中にテントの小窓から外の山々を眺める。
そして、待ちに待った9日目、チャンスが訪れた。リスクを十分承知しながらもできるだけ、できる ところまでチャレンジしてみたかった。
雪のコンディションは、決して良いものとは言えない状態だった。ある程度傾斜があれば、すぐに崩 れ落ちてしまうほどのものだ。
それでも最善を尽くし、少しでも山の本体の懐にアプローチをし確かめてみたい何かがあった。
山頂までの到達は残念ながら果たせなかったが、アプローチをし、ラインを刻んだことは 私にとってとても重要なことだ。滑るための登坂はあくまでも山頂を踏むのが最終目的ではない。 スキーヤーとしてトラックを刻むことがせめてもの成果であろう。
もちろんこの山の最大の魅力である 山頂直下のスティープラインを滑ることこそであるが、アタックの時期、天候のタイミング全てが揃っ てこそ
その先に成功がある。私はまだ受け入れてもらうことができなかった。 山たちが最後に、「まだ早い、試練を重ねてまた戻ってこいよ」と言っている気がした。