佐々木悠のシーズン  フィルムレーベル「MSP」と撮影した1ヶ月

佐々木悠のシーズン フィルムレーベル「MSP」と撮影した1ヶ月

カナダの山々を滑り込み

出場を果たしたFWT

 

自然と向き合って、自らの判断で遊ぶことが醍醐味のフリーライドスキー。佐々木悠は高校卒業後にスキーに打ち込もうとカナダのウィスラーへ単身で訪れた時に、このスタイルのスキーと出合った。

 

現地で知り合った仲間たちとスキー場やバックカントリーを滑り込んで力を積むと、スノーボードが主体だったフィルムプロダクション「Heart Films」に声をかけられムービーデビュー。これによって国内でも名が知られるようになり、さらに活動の幅が広がっていく。

 

コンペティションには2007年から参加し、2012年にはカナディアンオープンフリースキーチャンピオンシップでシックバードを受賞。この賞は順位ではなく、この日最も過激な滑りをした滑り手に贈られるという、ある意味勝者よりも名が覚えられるものだ。

 

2017年、さらにフリーライドに打ち込もうとウィスラーより内陸部にあるレベルストークに拠点を移した。このスキー場はゴンドラやリフトが3基しかないものの、自然地形が豊かで、標高差は北米一の1713mを誇る。急で長く滑れるコースを効果的にレイアウトしているのが特徴だ。北米でも屈指の規模で、サミー・カールソンやクリス・ルーベンスといった有名スキーヤーもここをホームゲレンデに滑っている。

 

そうした環境のもと、彼は実力をめきめきと伸ばしていく。2018年にはフリーライドコンペティションの最高峰であるFREERIDE WORLD TOUR(以下FWT)に参戦するまで上り詰めた。持ち味である大きなジャンプを武器に、世界中から集まる実力者のなかでも存在感を増していく。これまで2シーズン続けて大会に参加しており、総合の最高位は14位。4戦までのポイント上位12名は最終戦のヴェルビエに招待され

る仕組みになっており、そこに選ばれると、まさに世界のトップとして自他共に認められるポジション。世界トップまであと少しという位置だ。

 

 

MSPの目に留まったのは

インスラグラムのフィード

 

2021年は世界的に広がるパンデミックによって、これまでのシーズンと様子が一変した。移動に制約があることで、日本や北米、ヨーロッパの各地を移動しながら行うFWTは大会の開催変更を余儀なくされた。シーズンが始まる前にフリーライド白馬の中止が決まり、次いでカナダ・キッキングホースでの大会はヨーロッパにて代替開催となったのだ。

 

10月末から雪が降り積もったレベルストーク周辺を滑りこんでいた彼は、こうした状況を受けてシーズンの過ごし方を迷っていた。

 

それはマッチ スティック プロダクション(以下MSP)から撮影の誘いを受けていたからだ。

そのきっかけは、ちょうど2020年の春のこと。FWTがインスタグラムにアップしていた映像に彼の特大クリフジャンプが出ており、それがMSPのディレクターであるスコット・ガフニーの目に留まった。佐々木のアカウントに「21年の冬に一緒に撮影をしないか」とメッセージが来たのだ。

 

MSPといえば、1992年に立ち上がった老舗フィルムレーベル。これまで世に出た作品は30以上を数え、シェーン・マッコンキーやエリック・ヨレフソン、ショーン・ペティットなど、ここから誕生したムービースターも多い。

 

フリースキーヤーなら一度は耳にしたことがあるこのムービープロダクションからのオファーに、心が揺り動かされないわけがない。MSPのこれまでの作品のなかで、日本を舞台にしたセグメントやほんの数カット登場することはあっても、日本人スキーヤーがひとりでパートを持つことはこれまでない。海外のスキームービーでセグメントを持ちたい夢を持っていた彼にとっても、この話はFWT参戦と並び、大きなチャンスだ。

 

MSPのシューティングは2月上旬にフィックスされた。レベルストークから南へ3時間ほど行ったカスローのステラヘリが予定された。メンバーはサム・クッチ、コール・リチャードソン、ローガン・ペホタ。いずれもMSPを代表するスキーヤーたちとセッションだ。

 

と、それは同時にFWTの日程とかぶるため、佐々木は’21シーズンの大会をキャンセルすることを意味した。

 

ある種の覚悟をもって

望んだ3回の撮影

’22季のMSP作品のコンセプトは「バックヤードを滑る」だ。パンデミックの影響を受け移動ができないなら、それぞれの地元の面白さをローカルが掘り起こそうというもの。佐々木の地元レベルストークをはじめ、ウィスラー周辺やジャクソンホールなど北米の各地で同時に撮影が行われた。いつもと様子が異なるのは、作品ディレクターであるスコット・ガフニーが撮影に帯同するのではなく、時節柄リモートで撮影クルーをコントロールすること。

 

ところが、2月の撮影直前に、ローガン・ペホタがケガによってシューティングをキャンセルすることになる。撮影はその煽りを受け、予算の都合によるヘリ乗車の人数を調整する必要に迫られ、初参加の佐々木はその席から漏れてしまう。FWTへの参戦を蹴ってまで、このMSPの撮影に照準を絞っていただけに、その落胆ぶりは想像以上のものがある。

 

だが、そこに手を差し伸べたのがサミー・カールソンだ。

レベルストークに拠点を置くサミーのことは数年前から佐々木は知っていたが、トップスキーヤー独特のオーラは近寄りがたく、遠くから見てる存在だった。それが、FWTでの活躍によって佐々木の名が知られると、オフシーズンには彼が運営しているフードトラックのもとに、時々サミーがやってきて会話を交わすまでの間柄に発展。’21シーズン序盤には、近くのバックカントリーエリア・ロジャーズパスを共に滑り、時折連絡がきて一緒に滑る関係性にまで深まっていた。

 

シグネチャームービーの撮影で動いていたサミーが、佐々木の撮影がキャンセルに

なったのを聞きつけ、スコット・ガフニに連絡をすぐとってくれ、レベルストーク周辺でもっとも滑走レンジがとれるセルカーク・タンジェントでのヘリ撮影パートナーとして声をかけたのだ。

 

「サミーが俺を選んでくれたのは『バイブスが合うから』って言ってくれたんです。普段はメローな雰囲気でフレンドリーなんだけど、スキーに対しては人一倍ストイック。モービル撮影が多いから歩くのが遅いと思ったらとんでもなく速いし、現場での判断もテキパキして超早い。だから、撮影途中で他の人が緩い雰囲気を出すと、ペースが崩れて嫌だからソロプロジェクトで動いてるそうなんです。

俺も撮影中はあれもこれもやるぞ、それをやるにはどうしたら良いかを常に考えて動きまくるから、お互いに気兼ねしないんです」

 

と佐々木。

 

そのサミーとの撮影は3回に渡って3月に行われた。いずれのタイミングも天候がなかなか安定せず、午前中や夕方の数時間しか飛べない限られた条件。ヘリ撮影は数えられるほどの経験だけに、慣れない様子を見透かされたのか、サミーから「緊張してるのか?」と散々にいじられたという。

 

「最初にヘリが降りたところはサミーの映像で滑っていたフェイスの上でした。クリフの形に見覚えがあって、ちょうどそこで360をしていたので、自分も同じように滑ろうと思って見たら、めちゃくちゃ落差もあって、でかいんですよ。そこを結局ストレートジャンプで降りちゃって……。とにかくこれまで滑っていた斜面と撮影用の斜面はスケールが全然違って感覚が狂うというか。それに撮影用の斜面は1本しか滑れないからミスできない、でも守りに入った滑りでMSPクォリティになるのか、というジレンマは常に抱えました」

 

サミーとの初めての本格的な撮影は、ライディングだけでなく、あらゆる面で世界のトップシーンを体感する日々だったという。

 

「限られた時間のなかでヘリが飛ぶなか、自分が選ぶ斜面はことごとくサミーに却下されましたね。『悠、斜面小さいよ、あれぐらいだったらモービルでも行けるぜ、小さくまとまるなよ』ってな感じで。サミーが選ぶピローラインはデカいクリフの上に雪がついているだけでのようで、感覚的には30mくらいのクリフをジャンプするみた

いなもんです。その上をタップしながらタタタと降りていく。いや、俺は全然無理でしたね。

 

3回目の撮影のときは雪の状況がひどくて、ちょっと滑ったらスラフが流れるなんてものじゃなく、足元からスパッと斜面が切れ雪崩れるコンディションだったんです。案の定、サミーは斜面上部でターンした瞬間に、一気に崩れて流されていって『これはマズイやつじゃない?』と一緒にいたガイドと話していたら、無事に出てきてホッとしたんです。で、俺はすっかりそれを見て撮影を中止すると思ったんです。そうしたらガイドが『お前はもっと気をつけていけよ』って。『え? これでやるの? 行きたくないな~』と思って斜面に出たら流されはしなかったけど雪崩れて。普通なら撮影しない状況でもバックアップ体制がしっかりしているから行くんですよね。そういうところも面食らいました。

 

毎回撮影には覚悟が必要でしたね。自分のレベルを引き上げられているのは実感したんですが、このままやったら死んじゃうかもって(笑)。一つひとつのセクションはこなせるのですが、ライン全体を見たときの総合力というか、どんなコンディションでも滑っているときのカッコよさ、選ぶライン、ライディングのスムーズさ、トリックなどのレベルは異次元です。昨年のMSPでローガンがでっかく飛んで、転んだ斜面にも行ったんですけど、俺はそもそもそのラインを滑ろうとも思わなかった。選ぶこともしなかったんです。それがわかった時に、なんかこう歯がゆい気持ちになりました。この上手い人たちともっと一緒に滑るチャンスが欲しい。自分的には少し不完全燃焼であっという間に終わってしまったというのが正直なところです」

 

FWTに行かなかったからこそ

サミーと滑り、撮影ができた

 

サミーとの3回の撮影を終え、撮れ高をすべて見ないままフッテージはMSPに送られた。このあとオフシーズンにフードトラックでサミーとのシーンを撮ればストーリーが完成し、MSPのセグメントとして世に出る予定だ。

 

フリーライドのコンペシーンで成績を残すことに全精力を傾けていたここ数年と違い、世界でも屈指のフィルムレーベルMSPと作品を作ることに情熱を燃やした’21シーズン。FWTに出場したことでMSPから声がかかるようになり、ワールドツアーに

行かなかったからサミーとの濃密に滑るチャンスもなかった。不完全燃焼と言いながらも、佐々木の気持ちに後悔はない。ライダーとしてまだまだ進化し、新たなステージに立つ佐々木悠のこれからも楽しみだ。

 

 

佐々木悠 YU Sasaki 

1986年、札幌市生まれ。高校卒業後、単身カナダ・ウィスラーに渡り、ビッグマウンテンフリーライドスキーに開眼。撮影や大会出場を中心に活動を続ける。2017JFO優勝、2018FWQ Hakuba優勝、2019FWT Hakuba4位、FWTワールドツアーに出場。そして、2021年に世界屈指のフィルムレーベルのマッチ スティック プロダクションからのオファーを受け日本人スキーヤーとして初のセグメントシューティングを行い作品制作へ参加。 

YouTubeチャンネルの「Freeride Adventure」も開設している。

 

https://www.instagram.com/mspfilms/?hl=ja  (@mspfilms) 

https://www.instagram.com/yusasaki223/?hl=ja (@yusasaki223)  

 

 

Text / Takeru Ogawa (STEEP)

 

※取材:2021年5月 

ブログに戻る