UPLNDの新企画<MOMENT>. 私たちが感動や興奮、憧れを抱くスキーヤーのライディングフォトは、滑り手と撮り手の一体感による奇跡的なひととき(MOMENT)があって誕生する。
今回から4回に渡りライダー児玉毅による<スキーヤーとカメラマンのストーリー>では、過去の作品から印象深いエピソードを振り返っていく。
MOMENT スキーヤーとカメラマンのストーリー Vol.1
Text/ Takeshi Kodama
先日、断捨離を兼ねて書棚を整理していた時に、今まで自分が掲載されたスキー専門誌の記事のスクラップをまとめたファイルを見つけた。
初めてスキー専門誌に取り上げてもらったのは、まだ大学に在学中の1997年。
これをスタート地点とするならば、撮影し原稿を書く仕事を26年間も続けてきたことになる。
懐かしさのあまり、作業の手を止めて読み耽っていると、特に鮮明に蘇ってきたのは、カメラマンとの濃厚な撮影の時間だった。今まで、様々なカメラマンの方に撮影していただいたが、中でも撮影機会が多く、影響を受けたカメラマンとのエピソードを写真を見ながら振り返ってみたいと思う。
MOMENT
スキーヤーとカメラマンのストーリー
①亀田則道 ②渡辺正和 ③菅沼浩 ④佐藤圭
大学生になるまで、まともにスキーをやっていなかった自分が、
プロスキーヤーになれた要因はいくつかあるのだが、その一つは亀田則道さん(以下 亀さん)というカメラマンとの出会いだったと思う。
当時、三浦雄一郎&スノードルフィンの先輩方を撮影していたのが亀さんで、特に競技に取り組んでいなかった自分にとって、亀さんが「撮りたいスキーヤー」になることが大きな目標だった。
スノードルフィンの新人だった俺やダイスケ(佐々木大輔)は、テイネハイランドで亀さんの姿を見つけると、自分の滑りをアピールしようと周辺を滑りまくっていた(ウザいって?笑)。
「勢いはあるけれど、危なっかしいやつらだ」と思われていたが、ようやく「撮りたいスキーヤー」と思ってもらえるようになったのが、2000年くらいのことだった。
亀さんの現場は、いろいろな意味で亀さんとの勝負だった。
スキーヤーにはカメラマンの想像を超えてくることを求め、カメラマンはスキーヤーの想像を超える作品の残す。
そのように研ぎ澄まされた真剣勝負の中に、本当の傑作が生まれると信じていた。
俺は「撮れるものなら撮ってみろ!」くらいの気持ちで、亀さんがフレームアウトやピンボケなどのミスをしてしまうようなデッカいジャンプや
とんでもないスピードを意識して滑り、亀さんも「来るなら来い!」とカメラを構えた。
そのような現場だからショボい滑りには厳しく、俺は撮影を重ねることでプロスキーヤーとして成長を遂げていった。
亀さんの現場は厳しいだけではなかった。
楽しむことに関しても、徹底的に勝負だったのだ。
当時、第一線で活躍していたプロスキーヤーの庄司克史さんと亀さんの3人で撮影したときのこと。
亀さんはニセコの極上パウダー大斜面での滑走を撮影すべく、斜面の中間で構える予定だった。
「お先に失礼!」亀さんはニンマリ笑うと、「ヒャッホ~!」と雄叫びを上げながら、斜面を贅沢に使って気持ちよく滑っていった。
「おいおい!カメラマン、楽しみすぎでしょ!」と庄司さんが笑うと、亀さんは予定していた場所で止まらずに、かなり下の方まで滑り降りてしまった。
『ごめんごめん!気持ち良すぎて滑りすぎちゃったわ!がははは!』
無線越しに亀さんの興奮した息遣いが聞こえてきた。
「ちっくしょ~!また亀さんにやられたよ!いいかタケ、亀さんが俺たちに止まってと指定する場所を通り越して、一番下まで一気に滑り降りちゃえ!」
庄司さんは実に愉快そうに言った。
「え?いいんですか?それだと、こんな極上の条件で、1カットしか撮れなくなっちゃうけど…」
そう、ある程度斜面を区切って撮影すれば、様々なバリエーションで良い作品が残せる状況だったのだ。
「いいんだ。楽しもうぜ!」
庄司さんの言う通り、俺は止まらずに下まで一気に滑り切ると、早速亀さんから無線で呼び出された。
「バカヤロ~!ずるいぞ、タケ!お前、サイコーだ!がははは!」
スキーが大好きだという情熱と絆で強く結ばれ、やるときは互いに厳しくトコトンやる。
作品に効率を求めたとき、それは芸術作品ではなくなる。
亀さんから教わった表現する面白さが、今もずっと俺のベースとなっている。
Photo/ Norimichi Kameda
庄司克史さんや西田智さんというワイルドな先輩スキーヤーに憧れて、髪を伸ばしていた頃の写真。当時画期的だったツインチップのファットスキー(VOLANT HUCKSTER)など、用具から時代を感じられる。ハイク時はアタッチメントタイプのセキュラフィックスを使用していた。
2000年1月ニセコにて
Photo/ Norimichi Kameda
自分が怪我をしない人間だと本気で思っていた時代。
飛んだことがない特大の天然クウォーターパイプを初見でバカっ飛びしていた。
2000年1月ニセコにて
Photo/ Norimichi Kameda
児玉毅